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 毎月11日に、さまざまな「音の記憶」を書き残していきます。

 執筆:ササマユウコ(2017.4.11~)


音の記憶③「ポリリズム」

 まだ豆粒のように小さな胎児だった頃から、私たちの心臓はその生命が終わるまでずっとリズムを刻んでいる。忘れがちだが、この世で誰ひとり同じ心臓を持たないのだから、体内リズムも人それぞれ違う。もしかしたら地球のどこかで、自分の心臓と同日同時刻から一秒違わず同じリズムを刻んでいる心臓が奇跡のようにあるのかもしれない。しかしそのリズムに出会うことは火星に生物を見つけるよりも困難だ。呼吸に寄り添う波のリズムも、波打ち際に立っていると大波小波が押し寄せては引いていくポリリズムだと気づく。

 そのポリリズムの世界が強引にひとつのパルスに押し込められ続け、いよいよ歪が出始めたのが現代だ。インターネットで時差の概念が消え、EUでシェスタが消え、東京では2分の到着の遅れに車掌が謝り続け、決して狂わないデジタル時計が暮らしを規範する。時間を描く線が消え、刻む点だけになる。砂時計のように曖昧な時間が消えていく。10年前に流行したPerfumeの「ポリリズム」は、曲中のリズムの変則性や、文字通り複数のリズムが絡み合う独特のグルーヴ感の中に、喪失されるポリリズムの世界を無意識に渇望したのかもしれない(テクノと生声の間(あわい)にある歌声の魅力もあったとは思うが)。
 例えば自分を振り返った時、左手は8分音符で4拍子、右手は4分で3連符のような西洋音楽のポリリズムに出会ったのは、ピアノ教育を通した小学生の中頃だったと思う。先に楽譜(視覚)があったので、それを見ながら手の左と右で同じ泊数の違うリズムを何度も何度も繰り返し、体内にポリリズムを染み込ませていった。考えてみれば身体を左右に分け、「ひとりで」ポリリズムをつくるピアニストとは何とも奇妙で孤独な生命体ではないだろうか。
 そのせいとは言えないが、私は例えば駅にある規則正しい階段を降りることがどうにも苦手である。同じ幅、同じ高さ、ひたすら続くその単調な規則性に途中から身体の何かが耐えられなくなって、リズムを変えたくなる。反対に古い神社仏閣にあるような手仕事の変則的な階段や、森の中で樹の根の有機的で不規則なリズムの段差はまったく苦にならない。ラッシュ時に駅の階段から転げ落ちる人を何度か目撃してしまったトラウマだろうか。その脇を軍隊行進のように通り過ぎていく冷たい足音の記憶もある。考えてみれば階段だけではない。ラジオ体操やカラオケ、揺らがない大きなリズムに合わせて「全員で」歌ったり身体を動かすのが心身ともに苦手である。「怖い」と紙一重だと思う。

 人生の中でいちばん印象に残っているポリリズムと言えば、妊娠8か月の頃に病院で聴かされた「胎児(娘)の心音」である。ベッドの枕元にL/Rの小さなスピーカーが付いていて、お腹にマイクを当てると予想以上に早い「トコトコトコトコ」といった可愛らしい小さな心音と、それに比べて低くゆったりとした自分の心音がポリリズムとなって聞こえてきた。それは「音楽」だった。自分の体内でふたつの心臓がポリリズムを奏でている。その状況は非常に面白かった。だから娘が生まれてからも時折、おもちゃの聴診器で心音を聴いてみた。あの健気な小さなリズムを一度でも耳にしたら、親は本能的に「この小さなリズムを守らねば」と思う。最近はマタニティマークをめぐる信じがたいニュースも話題になったが、あのマークは妊婦さんに特権を与えるものではなく、お腹の中で刻まれている小さなリズムを守るためのマークなのだ。「見えない」「きこえない」ものに想像力を働かせることは、この世界がポリリズムであることに気づくことと等しい。

 かつてアルバイトをしていた劇場で、イスラエルのダンスカンパニーのワークショップを見学させてもらったことがある。20年ほど前だろうか。まだ国内はコンテンポラリーダンスの黎明期で、生活の所作の中にある身体リズムをダンスに取り入れる動きが出始めた頃だった。その中で印象的なシーンがある。講師のダンサーが8拍子の音楽を流して、「これに合わせて7拍子で踊って。こちらのあなたは5拍子で」などと指示をだし、身体でポリリズムの風景をつくろうとすると日本人のダンサーはたいがい困惑してしまう。ちょうど音楽の世界でもシルクロードを遡るようにインドや中近東の音楽が身近になり始めた頃だ。インド古典のおおらかな二拍子の曲が、実は三桁の分母を持つ変拍子と複雑なポリリズムを内包しているものがあると知って驚いたこともある。何より、複雑に編み込まれたポリリズムがシンプルでスケール感のある’うねり’を生み出すことがとても興味深い。これは頭で考え、視覚で習得するリズムではない。身体に染み込ませるリズムである。
 今ではインターネットを通じて世界中のリズムを聴くことが可能だし、在日外国人二世や留学生が紹介する異国のリズムに触れる機会も当時と比べて格段に増えた。『LISTEN』のような聾者の音楽にも出会える。「日本語は4拍子」と捉える世界もあるが(確かに和歌の57577を読み上げるような「様式」の中には4拍子があるが)、例えば津軽弁や江戸弁などの方言に4拍子を感じたことはない。もっと個人の呼吸スパン、その人固有の体内リズムを感じる。反対に学校で習う音楽のほとんどが4拍子であることも興味深い。
 パソコンソフトや楽譜を使って、ポリリズムを作ることはさほど難しいことではない。リズムを数学的に捉え、聴覚よりも視覚化し、パターン化するのである。それは例えば森の中を歩いて葉や花のかたちに秩序を見出すような世界の捉え方である。むしろ本当に難しいのは、自分の「暮らす身体」を通してリズムを奏で、他者のリズムと共存する「生のポリリズム」である。リズムの中にも「相性」があって、どうにも心地良いグルーヴ感が生まれにくい組み合わせはある。しかし数学と同じで、公倍数として「一致」する瞬間は必ず巡ってくる。その瞬間を信じて、自分のリズムを頑なにキープする(守る)だけではなく、他者のリズムを受け入れ、揺らぐ(ずれる)ことも時には必要だ。最終的に大きくてシンプルな’うねり’が立ち現れるまで「繰り返す」ことが大事なのである。他者のリズムを「違和感」ではなく「差異」として受けとめられるような身体を手に入れたい。世界が単調なパルスに陥らないように常に耳を研ぎ澄ませていないといけない。多様性(ズレ)のあるポリリズムは、不揃いだが身体リズムと呼応する階段のように、有機的で心地よい余白のある世界を生む。
 映像は、この国の先住民族であるアイヌの民謡である。4人の独特な声が響き合い、時にポリリズムを刻みながら心地の良い揺らぎを生みだしていく。複雑なポリリズムがシンプルなうねりを生むのと同時に、ひとりひとりのシンプルなリズム、円環となる時間の組み合わせが複雑なポリリズムを生む。胎児の頃の耳の記憶が刺激されるような、ここ数年よく聴いている一曲。(2017.6.11 ササマユウコ)


音の記憶②「オルゴール」

 これまで特別に考えたことはなかったが、実は「オルゴール」が人生の原点にあると最近意識するようになった。

 パリのモンマルトルにあるような大きな手回しオルガンや古い自動ピアノ、スイスのリュージュ社のシンギング・バード等にも得も言われぬ魅力を感じるが、個人的にはアナログのネジ巻式か、機械に直接小さなハンドルを付けただけの手回し式、どちらにしても内外ともにシンプルで手の中に納まる手動のオルゴールが好きだ。

 多くの人がそうであるように、オルゴールとの最初の出会いは幼少期だった。もしかしたら赤ん坊の頃にも玩具等で「音」には出会っていたかもしれない。しかし’音楽装置’としての存在を認識したのはピアノの出会いと同じ、3歳の頃だった。それは父の転勤で幼少期を過ごした函館の家にあったもので、幾何学模様が彫られた黒い小さな宝石箱だった。右側面に幼い子どもの手には少し堅めの金属製の小さなネジが付いていた。そのネジを回すと、「ギギギギ、ギギギギ」と少し抵抗感のある音がする。もうこれ以上は巻けないというところで手を離すと、どこかもの哀しいメロディが流れてくる。それはロシア民謡の『黒い瞳』だった。当時は気づくはずもないが、赤レンガのペチカ(ロシア式暖房)のある和洋折衷の家にはロシア民謡がよく似合う。ここで半年間は雪に埋もれ、時おり黒い箱を手に抱えてはネジを「ギギギギギ」と回す。函館は今はあまり雪が降らないと聞くが、半世紀前は幼い子どもの胸の高さほどの雪が本当によく降った。ちょうど妹が生まれた頃で、長女は放っておかれることが増えたせいか、オルゴールのネジを回すのは暇つぶしと孤独を癒す時間でもあったと思う。

 指先に軽い痛みを感じるほど堅いネジだった。まだ指の力が無かっただけかもしれない。そうまでして聞きたかったのはロシア民謡そのものではなく、箱の内側からきこえる「ギギギギギ」の音だったと思う。あとは「ネジを巻く」というどこか非日常的な行為も面白かった。流れる音楽とともに回転するネジは、段々とゆっくりになり眠りに落ちるように曲の途中でも止まってしまう、音楽が始まる場所も終わる場所も毎回違う、その有機的な感じにも惹かれていた。最後の一音の櫛歯が「ピン」と弾かれて終わるのか、その手前で終わるのかもワクワクした。曲もフルコーラスではなく最初のワンフレーズを何度も繰り返したので、まるでミニマル・ミュージックのようだった(もちろん知らなかったが)。それに加えて『黒い瞳』の半音階で始まる少し大人びた旋律が、当時流行していた『黒猫のタンゴ』にも似た異国情緒があって好みだった。ここは記憶がおぼろげなのだが、音の鳴る「仕組み」も見えるタイプだったと思う(もしくは箱の中のフェルトを外すと見えたのかもしれない)。どちらにしてもオルゴールは、聴覚、触覚、視覚を刺激する魅力的な「音楽装置」であることを再認識する。

 写真のオルゴールは10年ほど前に手に入れたもので、普段は仕事机の上にある。音には直接関係ないが、占いの水晶のようにずっしりと重たい硝子玉が載っている(最初からボンドが剥がれていて、本当にただ載っている)。硝子の中にはそれぞれ回転木馬と観覧車が刻まれている。裏底にあるダイヤル式のネジを回すと音楽が始まって硝子玉も回り始める。ちなみにネジは軽めであまり好みではない。予想外だったのは台座の中に小さなLEDライトが仕込まれていて、硝子玉が回りながら虹色に変化することだ。玉を手に取ると台座の中の虹の仕掛けは丸見えである。実はどこかの閉店セールで「3個まとめて1000円」の放出品を、放っておけずに引き取ったものである。ひとつは親戚の子にあげて、もうひとつもあげる予定の人がいたが「いらない」と断られた気がする。すっかり家に馴染んだ今は、欲しいと言われてもこちらが断るだろうけれど。
 再生される音楽は、観覧車がオルゴールの定番『It's A Small World』、回転木馬が『キヤルーゼル・ワルツ(原文ママ)』という、旋律は聞き覚えがあるが出どころ不明の曲だ。おそらく映画音楽だろうとは思っている。ちなみに硝子玉が重すぎて台座の回転に支障をきたし音がひび割れている。今ではLEDも切れそうで、ほんのり「赤玉」になるくらいだ。思い返せば「オルゴールとして」完璧に作動した期間は虹の出現のように儚かった。もしかしたら展示品だったのかもしれない。重厚な外側のつくりに反して、内側の機械は安物の音がする。
 しかし硝子玉に時おり日が当たると「希望」のように美しい光を放つ。その音楽的な佇まいが気に入っている。何より2011年の大震災でも無事だった我が家の貴重な硝子品のひとつだから、その強運も含め大切にしたいと思う。きっといつかは音も鳴らなくなるだろう。音を出さずに静かに回る硝子玉は、「記憶の音」を再生する装置に変身するだろう。回転木馬も観覧車も円環運動だ。その回転を見ながら私が思い出すのはロシア民謡なのかもしれない。そういえば、あの宝石箱のオルゴールはどこへ行ってしまったのだろう?引っ越しを繰り返す中で、いつの間にか消えてしまった。(2017.5.11 ササマユウコ)


音の記憶①ダムタイプ『OR』の音(1997@青山スパイラルホール)

 あの時は、生まれて初めて「音に殺される」と思った。

 ステージから目を逸らし、耳を塞いで抵抗したが、暗がりの床に座って全身で浴びる破壊的な重低音に、遂には生命が悲鳴を上げた。会場入り口に「途中退場可」の旨の貼り紙があったことは確認していたので、中央に座ってしまったことも、記録の撮影が入っていたことも構わず、私は立ち上がってその音から逃げ出していた。音に背を向けて、全力で逃げた。
 本来は当たり前だと思うのだが、ここでのアーティストと観客は’フェアな関係’だった。彼等の「表現の自由」と、そこから「逃げる自由」が、互いに保障されていたのは救いだった。しかし考えてみると、例えば音楽ホールでクラシックの演奏途中に、その音から「逃げる」ことが許されている場は少ない。演奏者への敬意は当然払うべきだが、これは何とも「アンフェアな関係」ではないだろうか。その一方で、自分が音を出す側にまわると、途端にその意識が薄らいでしまう。それどころか当たり前のように観客の身体と時間を拘束し、時には静寂を要求してしまうのはなぜだろう。
 すでに世界的な評価を得ていたダムタイプのコンサート『OR』の音だった。1995年に中心メンバーの一人だった古橋悌二をエイズで失った後、彼等はカンパニーとしての転機を迎えていた。私が逃げ出したのは、ステージ上の大きなスピーカーの電源を入れたまま、そのプラグを抜き差しするシーンだった(スタジオ・ミュージシャンなら、その音が’ご法度’であると知っている)。音質や音量の嗜好の問題、光の作用もあったとは思うが、それ以上にその音を淡々と出し続けるパフォーマーの無機質な存在感、その音の前に自分が100%受け身の状態に置かれるという「関係性」に耐えられなくなった。

 それは大げさではなく「音で殴られる」ような感覚だった。明らかに暴力だったと思う。ところがもっとショックだったのは、体育座りで微動だにせず、その暴力を受け続けている人たちがほとんどだったということだ。あの『S/N』の「ダムタイプ」の作品に背を向けることは容易ではない。この会場を「逃げ出す」ということは世界的なアートを理解しない自分を認めることになる。そこへの葛藤があったかもしれないし、無かったかもしれない。

 このコンサートに誘ってくれたダンサーの友人も、ほどなく会場を後にした。私を気遣ってではなく、彼女自身の身体が限界を越えたからだと言った。作品を全て観ていないので、私に内容を批評する資格はない。唯一言えることは、「暴力」とは何かを、あの音を通して身を持って体験できた貴重なコンサートだったということだ。
 音を「きく」のは耳だけではなく、全身であり、この生命である。アーティストと観客の、その間にある「関係性」の’在りよう’こそが音の本質を決める。だから’心地よい’と感じる重低音もあることは誤解のないように記しておきたい。
 物理的エネルギーとしての音の「力」。それを手にした側が一方的に「強者」となるような場の関係性には、常に危うさが潜んでいる。もちろんその音が、音楽となって誰かの生命を癒し救うこともある。その一方でシェーファーがサウンドスケープ論で示唆したように、音は自他の耳だけでなく、時には心も傷つけることは肝に銘じていたい。音の扱い方を今いちど問うことから、21世紀に相応しい’新しいコンサートのかたち’が生まれる可能性もある。特に社会にひらいた参加型コンサートやコミュニティ・ミュージックを志向するアーティストは、発展が著しい「音楽療法」の分野から学ぶべきこともあると思う。音のエネルギーを扱う際は、自身の表現欲求を満たすだけでなく、常に「想定外」を想像する能力が要求される時代となった。自戒を込めて、肝に銘じたい。

追記:「OR」から20年の月日が経つ。このコンサートには参加していないが、同じくダムタイプの主要メンバーだった美術家・小山田徹氏は、現在小さな焚き火を囲む「ちび火」プロジェクトやオーガニックカフェを展開していることが興味深い。「大きな火は、全体主義的な高揚感があって危険だから、小さな火を囲むのがいい」という彼の考えも記しておきたい。「芸術の力」を身を持って知る人の、内側から出た言葉である。 (2017.4.11 ササマユウコ)

●当時の「OR」の批評で、最も腑に落ちたのが熊倉敬聡氏の文章である。ちなみに、記録映像には問題のシーンは収録されていない。