音の記憶②「オルゴール」

 これまで特別に考えたことはなかったが、実は「オルゴール」が人生の原点にあると最近意識するようになった。

 パリのモンマルトルにあるような大きな手回しオルガンや古い自動ピアノ、スイスのリュージュ社のシンギング・バード等にも得も言われぬ魅力を感じるが、個人的にはアナログのネジ巻式か、機械に直接小さなハンドルを付けただけの手回し式、どちらにしても内外ともにシンプルで手の中に納まる手動のオルゴールが好きだ。

 多くの人がそうであるように、オルゴールとの最初の出会いは幼少期だった。もしかしたら赤ん坊の頃にも玩具等で「音」には出会っていたかもしれない。しかし’音楽装置’としての存在を認識したのはピアノの出会いと同じ、3歳の頃だった。それは父の転勤で幼少期を過ごした函館の家にあったもので、幾何学模様が彫られた黒い小さな宝石箱だった。右側面に幼い子どもの手には少し堅めの金属製の小さなネジが付いていた。そのネジを回すと、「ギギギギ、ギギギギ」と少し抵抗感のある音がする。もうこれ以上は巻けないというところで手を離すと、どこかもの哀しいメロディが流れてくる。それはロシア民謡の『黒い瞳』だった。当時は気づくはずもないが、赤レンガのペチカ(ロシア式暖房)のある和洋折衷の家にはロシア民謡がよく似合う。ここで半年間は雪に埋もれ、時おり黒い箱を手に抱えてはネジを「ギギギギギ」と回す。函館は今はあまり雪が降らないと聞くが、半世紀前は幼い子どもの胸の高さほどの雪が本当によく降った。ちょうど妹が生まれた頃で、長女は放っておかれることが増えたせいか、オルゴールのネジを回すのは暇つぶしと孤独を癒す時間でもあったと思う。

 指先に軽い痛みを感じるほど堅いネジだった。まだ指の力が無かっただけかもしれない。そうまでして聞きたかったのはロシア民謡そのものではなく、箱の内側からきこえる「ギギギギギ」の音だったと思う。あとは「ネジを巻く」というどこか非日常的な行為も面白かった。流れる音楽とともに回転するネジは、段々とゆっくりになり眠りに落ちるように曲の途中でも止まってしまう、音楽が始まる場所も終わる場所も毎回違う、その有機的な感じにも惹かれていた。最後の一音の櫛歯が「ピン」と弾かれて終わるのか、その手前で終わるのかもワクワクした。曲もフルコーラスではなく最初のワンフレーズを何度も繰り返したので、まるでミニマル・ミュージックのようだった(もちろん知らなかったが)。それに加えて『黒い瞳』の半音階で始まる少し大人びた旋律が、当時流行していた『黒猫のタンゴ』にも似た異国情緒があって好みだった。ここは記憶がおぼろげなのだが、音の鳴る「仕組み」も見えるタイプだったと思う(もしくは箱の中のフェルトを外すと見えたのかもしれない)。どちらにしてもオルゴールは、聴覚、触覚、視覚を刺激する魅力的な「音楽装置」であることを再認識する。

 写真のオルゴールは10年ほど前に手に入れたもので、普段は仕事机の上にある。音には直接関係ないが、占いの水晶のようにずっしりと重たい硝子玉が載っている(最初からボンドが剥がれていて、本当にただ載っている)。硝子の中にはそれぞれ回転木馬と観覧車が刻まれている。裏底にあるダイヤル式のネジを回すと音楽が始まって硝子玉も回り始める。ちなみにネジは軽めであまり好みではない。予想外だったのは台座の中に小さなLEDライトが仕込まれていて、硝子玉が回りながら虹色に変化することだ。玉を手に取ると台座の中の虹の仕掛けは丸見えである。実はどこかの閉店セールで「3個まとめて1000円」の放出品を、放っておけずに引き取ったものである。ひとつは親戚の子にあげて、もうひとつもあげる予定の人がいたが「いらない」と断られた気がする。すっかり家に馴染んだ今は、欲しいと言われてもこちらが断るだろうけれど。
 再生される音楽は、観覧車がオルゴールの定番『It's A Small World』、回転木馬が『キヤルーゼル・ワルツ(原文ママ)』という、旋律は聞き覚えがあるが出どころ不明の曲だ。おそらく映画音楽だろうとは思っている。ちなみに硝子玉が重すぎて台座の回転に支障をきたし音がひび割れている。今ではLEDも切れそうで、ほんのり「赤玉」になるくらいだ。思い返せば「オルゴールとして」完璧に作動した期間は虹の出現のように儚かった。もしかしたら展示品だったのかもしれない。重厚な外側のつくりに反して、内側の機械は安物の音がする。
 しかし硝子玉に時おり日が当たると「希望」のように美しい光を放つ。その音楽的な佇まいが気に入っている。何より2011年の大震災でも無事だった我が家の貴重な硝子品のひとつだから、その強運も含め大切にしたいと思う。きっといつかは音も鳴らなくなるだろう。音を出さずに静かに回る硝子玉は、「記憶の音」を再生する装置に変身するだろう。回転木馬も観覧車も円環運動だ。その回転を見ながら私が思い出すのはロシア民謡なのかもしれない。そういえば、あの宝石箱のオルゴールはどこへ行ってしまったのだろう?引っ越しを繰り返す中で、いつの間にか消えてしまった。(2017.5.11 ササマユウコ)