音の記憶①ダムタイプ『OR』の音(1997@青山スパイラルホール)

 あの時は、生まれて初めて「音に殺される」と思った。

 ステージから目を逸らし、耳を塞いで抵抗したが、暗がりの床に座って全身で浴びる破壊的な重低音に、遂には生命が悲鳴を上げた。会場入り口に「途中退場可」の旨の貼り紙があったことは確認していたので、中央に座ってしまったことも、記録の撮影が入っていたことも構わず、私は立ち上がってその音から逃げ出していた。音に背を向けて、全力で逃げた。
 本来は当たり前だと思うのだが、ここでのアーティストと観客は’フェアな関係’だった。彼等の「表現の自由」と、そこから「逃げる自由」が、互いに保障されていたのは救いだった。しかし考えてみると、例えば音楽ホールでクラシックの演奏途中に、その音から「逃げる」ことが許されている場は少ない。演奏者への敬意は当然払うべきだが、これは何とも「アンフェアな関係」ではないだろうか。その一方で、自分が音を出す側にまわると、途端にその意識が薄らいでしまう。それどころか当たり前のように観客の身体と時間を拘束し、時には静寂を要求してしまうのはなぜだろう。
 すでに世界的な評価を得ていたダムタイプのコンサート『OR』の音だった。1995年に中心メンバーの一人だった古橋悌二をエイズで失った後、彼等はカンパニーとしての転機を迎えていた。私が逃げ出したのは、ステージ上の大きなスピーカーの電源を入れたまま、そのプラグを抜き差しするシーンだった(スタジオ・ミュージシャンなら、その音が’ご法度’であると知っている)。音質や音量の嗜好の問題、光の作用もあったとは思うが、それ以上にその音を淡々と出し続けるパフォーマーの無機質な存在感、その音の前に自分が100%受け身の状態に置かれるという「関係性」に耐えられなくなった。

 それは大げさではなく「音で殴られる」ような感覚だった。明らかに暴力だったと思う。ところがもっとショックだったのは、体育座りで微動だにせず、その暴力を受け続けている人たちがほとんどだったということだ。あの『S/N』の「ダムタイプ」の作品に背を向けることは容易ではない。この会場を「逃げ出す」ということは世界的なアートを理解しない自分を認めることになる。そこへの葛藤があったかもしれないし、無かったかもしれない。

 このコンサートに誘ってくれたダンサーの友人も、ほどなく会場を後にした。私を気遣ってではなく、彼女自身の身体が限界を越えたからだと言った。作品を全て観ていないので、私に内容を批評する資格はない。唯一言えることは、「暴力」とは何かを、あの音を通して身を持って体験できた貴重なコンサートだったということだ。
 音を「きく」のは耳だけではなく、全身であり、この生命である。アーティストと観客の、その間にある「関係性」の’在りよう’こそが音の本質を決める。だから’心地よい’と感じる重低音もあることは誤解のないように記しておきたい。
 物理的エネルギーとしての音の「力」。それを手にした側が一方的に「強者」となるような場の関係性には、常に危うさが潜んでいる。もちろんその音が、音楽となって誰かの生命を癒し救うこともある。その一方でシェーファーがサウンドスケープ論で示唆したように、音は自他の耳だけでなく、時には心も傷つけることは肝に銘じていたい。音の扱い方を今いちど問うことから、21世紀に相応しい’新しいコンサートのかたち’が生まれる可能性もある。特に社会にひらいた参加型コンサートやコミュニティ・ミュージックを志向するアーティストは、発展が著しい「音楽療法」の分野から学ぶべきこともあると思う。音のエネルギーを扱う際は、自身の表現欲求を満たすだけでなく、常に「想定外」を想像する能力が要求される時代となった。自戒を込めて、肝に銘じたい。

追記:「OR」から20年の月日が経つ。このコンサートには参加していないが、同じくダムタイプの主要メンバーだった美術家・小山田徹氏は、現在小さな焚き火を囲む「ちび火」プロジェクトやオーガニックカフェを展開していることが興味深い。「大きな火は、全体主義的な高揚感があって危険だから、小さな火を囲むのがいい」という彼の考えも記しておきたい。「芸術の力」を身を持って知る人の、内側から出た言葉である。 (2017.4.11 ササマユウコ)

●当時の「OR」の批評で、最も腑に落ちたのが熊倉敬聡氏の文章である。ちなみに、記録映像には問題のシーンは収録されていない。